軽度知的障がい者でご両親が早く亡くなり、大阪の児童擁護施設で18才まで暮らし就職を機に関東の企業を探していた。幸いにも、実母の兄が横浜にいる事で、当面は親戚の家に引き取られる形で、施設を退所する事になる。後に、緻密な計画であった事が明るみになる。
Kは大阪からネットで関東のハローワークで就活をして当社を志望される。じゅんたんは二次面接でお会いするが、Kは礼儀正しく笑顔が可愛らしい女性でしたが、気になる事が2点あった。1点目は手首に傷跡が複数有り、明らかに自傷行為の跡である事が分かった。2点目は髪の毛が余りにも黒くて、安い毛染めを使って面接に来ており、就職よりも自分の金髪だか茶髪だかを優先させる程度の心意気だと感じていた。結果的には親戚が養女として迎入れる予定で有り、会社としてもバックアップをすべきとの見解により採用となった。
晴れて4月からKは、新入社員として関東での社会人生活がスタートしたが、研修当初から居眠りが頻発しており、生活環境の変化により睡眠不足なのだと思い保護者と連絡を取ると、就職前の3ヶ月前から一緒に生活しており、彼女の為に2階をリフォームしてK専用の部屋を準備しいつも食事が終わると9時には部屋に入り寝ているとこ事。実際には家を逃げ出してネットで知り合った仲間に車で迎えに来てもらい夜の世界を謳歌していたのだった。
4月入社して2週間が過ぎた金曜日の午後に体調不良を申出て早退手続きを行い、保護者に連絡するとお祖母様が迎えに来られて帰宅するが、その後連絡が付かず警察に捜査願いを保護者が提出する事になる。お祖母様によると、駅のトイレに入りたいとの事で、そこから別れて帰宅される。警察により駅のビデオカメラで確認されたのは、3時間後の18時に独りでトイレから出てくる姿が確認されており、第三者による連れ去りや拉致といった事件性が無いとの事で捜査打ち切りとなる。3日間音信不通であったが、本人から叔母になぜ口座からお金がおろせないのかとのメールが入る。グーループホーム時代から資金は管理人が管理していたものを保護者が受け継いだ際に、キャッシュカードは本人に渡したが、同時にネットバンキングの契約をして資金の管理は保護者がしていた為に、出金できない様に手続きをしていた。
彼女は埼玉で暴力団関係者に半ば軟禁状態でありそこから逃げる為に逃走資金が必要だった様だが自力で逃げ出して地の利が有る大阪に戻っていた。埼玉から大阪までは、ネットでヒッチハイクを行い乗り継いで大阪に戻れた様で有る。大阪に戻ると当時のグループホームの友人を通じて行政の寺小屋的な施設に入居させてもらっていた。施設から会社に連絡が入り状況説明を受けて、保護者に連絡をする。会社としては、無断欠勤が続いた事で社内規定上は解雇扱いとなるが、将来ある若者の為に依願退職の手続きを取る事で社内決定を受け、大阪の行政機関に書類を送り署名を受け入れる。最後は保護者との問題が残るが、叔父叔母は今回の一件から幼女として受入れる養子縁組は解消して保管していたお金も全額本人に渡す事で全てを終了させた。
⭐️じゅんたん見解
軽度の知的障害といえども、社会に出た途端に全てが解放されて暴走する傾向が有る為に、しっかりとした大人のサポートが必要である。しかしながら、一方で自分の利害のために利用しようとするのも大人なのである。弱者を護る制度と仕組み作りが大切な世の中となっている事は間違いない様である。
障がい者雇用は医療機関、行政、学校、支援機関、企業が連携してサポート体制を構築して置く事が、雇用定着に繋がる大切なポイントです♪